2008年08月12日

称賛の言葉

(ローマ夏期国際音楽祭の)幕開けのダイヤモンドの光りは、日本のピアニスト、ヒロシ・タカスのコンサートである。彼は、技巧と情熱との調和を成し得るずば抜けた芸術家である。彼の最後のコンサートの最中、聴衆は、彼に喝采するため総立ちであった。人は、真の天才に直面していることがわかるには、クラシック音楽を理解する必要などないのである。

(1994年8月21日付 ロピニオーネ紙/アルバ・アルクーリ)
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2008年08月11日

称賛の言葉

カリスマ的解釈家であり、喝采を受けるヴィルトゥオーゾであるヒロシ・タカスは、ローマの聴衆にとって、今やすでに、大いなる期待と熱狂を惹き起こすまさに真の《ピアノの神》となったのである。
(1993年8月16日付 イル・ジョルナーレ・ディタリア紙)


とにかく、とびっきり確実な鍵盤上の手のつかみ、特筆すべき技巧、連続的に挿入された音楽的価値のあるブレス、ルバート、パウザ、ラレンタンドとディミヌエンド…タカスの手の下で、西洋のクラシック音楽と宗教音楽は、現在の多くの演奏の高圧的で平坦なアカデミズムを脱ぎ捨て、全面的に新しい光で輝くのである。

(1993年8月21日付 イル・マニフェスト紙/ピエトロ・ガッリーナ)

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2008年08月10日

称賛の言葉

雨のマルチェロ劇場における 高須 博の成功 小さな大ピアニスト

彼を歓迎し、彼に敬意を現わす拍手喝采の嵐に戸惑いながらも、笑みをこぼした小柄な男は、ついに少年のような優しい仕種でピアノにつく。が、ひとたび、作品に着手するや、その、音符と旋律に洗礼を与える者の内的行為をもって、深い集中力と毅然とした態度を発揮する。あたかもモデルもなく無から巨大、かつ崇高な何かを創造する彫刻家のごとく。

延長された、テンピエット・サマー・コンサートの初日の幕を切って落としたのは日本のピアニスト、高須 博である。雨模様の晩で、演奏者と聴衆はマルチェロ野外劇場から隣接したサン・ニコライ・イン・カルチェレ聖堂への移動を余儀なくされたが、彼の堂々たる経歴の豊かさのおかげで、その内容はまったく薄められることはなかった。すべてが編曲と変奏曲によってまとめられたプログラムの演奏によっている。バッハは別として、譜面上、演奏可能なプログラムではある。が、ヴィルトゥオーゾのテクニックを存分に示す、あるいは控えるという動的な楽しみとして聞かせるプログラムである。

この日本人ピアニストは、ヴィルトゥオーゾでピアノの支配者であり、センチメンタルな審美主義者であり、ニュアンス、音楽的前衛、そして暗示的休止の洗練された創造者であるところのリストを、ひとつまみのレトリックとほとばしる情熱とで表現した。
 特筆すべきは瞬時に移り行く喜びの景観、その飛躍の描写を複合的に反響させ得た、あの組み鐘の音楽「ラ・カンパネッラ」の演奏である。
 バッハは高度なテクニックを要する作品であるが、ここにおいてテクニックは高度に精神的な次元に吸収されている。
 高須 博はブラームスの作品において苦悩のより大きい認識、感情に基づく一層深い調性といった、リストの変奏曲との区別、差異の大きさを、類い稀な繊細さをもって際立たせた。

(1991年9月3日付 イル・テンポ紙/カティア・イッパーソ)
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